1936年センチュリー
乗客数: 4名様
ビュイック社の生産によるこのアメリカン・クラシックは、1936年になって「センチュリー」と改名されましたが、その裏にはとても「パワフル」な理由がありました。時速100マイルを維持できる、当時数少ない車の一つだったのです。マーケティング・スローガンは「Go Fast With Class(品格よく速く走れ)」。まもなく「バンカーのホットロッド」というあだ名が定着します。2001年5月、「リムジンダイジェスト」誌の殿堂入りを果たしたこの車。センチュリーのそんなスピード性も、当時の消費者にとってはさほど意外ものではなかったのです。何しろビュイック社は、創立1年目にしてオーバー・ヘッド・バルブ(OHV)エンジン開発をなしとげ、世界に一目置かれていましたから。そのデザインの信頼性・力量は絶大で、わずか5年後の1908年、ビュイック社は、フォード、キャディラックを追い抜き自動車業界トップの座を奪いました。のちのゼネラルモーターズの大黒柱となったのがこの会社だったことがお分かりいただけたと思います。この美しい車は、見事な新品の白色レザー・シート、新式空調機、サンルーフ仕様。エンジン、トランスミッション、ラジエーター、ブレーキ、ショック系も新品に総替え。運転手付き「バンカーのホットロッド」に華麗に乗りたいとご希望の方、当方までお電話ください。
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